忍者の金庫番machiwabiの日記。金庫番という一般的には堅めな役割の割には、どんぶりで、それでいて時にナイーブな一面も見せるmachiwabiが綴る酔っ払い日記。
女の中にいる他人
- machiwabi
- 投稿日時
- 2009年07月03日 1:05AM
精神的地盤沈下に襲われて映画も観る気にならない。自分にがっかりの毎日。数日前に書いた罵詈雑言まみれの自分の日記も削除しようかと考えたけど、かつてそういう日記をその都度削除している知人の話を知人から「人としてどうか」と聞いていたりしてそうだそうだと思ったりしたので、自分への戒めのためにも消さずにいようかと思う。自分はあんなに汚い言葉を並べ散らかす人間なのだと思い知っておかないといけない。
映画『あらくれ』の高峰秀子がわたしのバイブルだと思っているけど、さて、あの勘の良さといい何かを選ぶときの手堅さといい、到底かなわないわたしは、中途半端な「あらくれ女」として最悪な生き様をいっているわけなのだ。
自分勝手に生きる私にとって数ある歴史上の映画の中でも成瀬映画の女性たちというのが私にとっての見本であることは間違いない。どんなことにもへこたれない。へこたれても三日で忘れる。へこたれていてもお腹がいっぱいにはならないからがむしゃらに働く。酒を飲む。暗躍する。スパイする。あきらめる。恋をする。男を捨てる。ヒモをつくる。捨てられる。―でも、なにがあっても寿命までは絶対死なない。そのしぶとさこそが成瀬映画の女だと私は思っている。でもわたしはそんなにしっかり生きれるかどうか、毎日のどうでもいいことに一喜一憂していて、もっと図太い神経を育てないと無理だ。35歳までにはどうにかけりをつけないと。
さて。
成瀬映画のことなんて語るほど観てもいないけど、なんで成瀬映画かといえば、今日は成瀬巳喜男監督の命日だった(7月2日)。没後40年。
『女の中にいる他人』も大好きな映画の1本だけれど、このタイトルは、成瀬映画に見る「女という生き者」について重要なキーワードなのではないかと思う。
神代監督『赫い髪の女』の宮下順子だって幾度も幾度も石橋蓮司に抱かれながら、なーに考えてるかわからなーいというところが、そこの部分がドラマとしてはおもしろい、と思う。
女は野良猫的なほど魅力的なんじゃないかな。なーにかんがえてるかわからなーい、方がたまらない。
とかなんとか言って、自分も女子であることなんてとんと忘れて書いているわけだけど、最近じゃ電車に乗ってもかわいい女の子にしか目がいかないもんね。男子はよっぽどでないと興味もてない。東京はかわいい女の子が多いんだもん、男子は大変だなあとつくづく思う。後つけたりしたくなるの当り前だ。
あ、要するに、今日は成瀬巳喜男の命日だったので、お墓参りに行ってきた、という話。
戒名:勝光院浄雲慈修居士。(読み取りずらかたったので間違えているかもしれない)
・『何故彼女等はそうなったか』清水宏監督…施設長の高橋とよさんが緊張感まるでなくて最高だった。
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